匣の中には綺麗な娘がぴつたり入つてゐた 。日本人形のやうな顏だ 。勿論善く出來た人形に違ひない 。人形の胸から上だけが匣に入つてゐるのだらう 。何ともあどけない顏なので 、つい微笑んでしまつた 。それを見ると匣の娘もにつこり笑つて 、 「ほう 、 」と云つた 。ああ 、生きてゐる 。何だか酷く男が羨ましくなつてしまつた 。
本書は京極夏彦氏の百鬼夜行シリーズ第二弾です。
箱を祀る奇妙な霊能者、箱詰めにされたバラバラ死体、巨大な箱型の建物で消失した少女。箱がつなぐ、これらの謎を解くミステリです。
で、この魍魎の匣のテーマとなるのが「箱」です。文字通りの箱だけでなく、比喩としての「箱」です。
たとえば、本作ではみっともないとか恥ずかしいといった恥的な感情表現が多く出てきます。
何が恥ずかしいだ 。正に厚顔無恥である 。この青年の 、いったいどこにはじらいがあると云うのか 。
こうした恥という感情はどこからくるのか考えてみると、それはたとえばいかつい刑事が警察手帳にアイドルの写真を忍ばせているといった、外見や職業という「箱」とその中身のちがいがばれてしまう、そんなところから来ているように思います。
また箱は均一化を促します。たとえ中身がちがっても、箱が同じならどうでしょう。
蓋を開けなければ一緒です、中身が分からなければ同じです。
また、箱は本来なら入らないようなものを無理やり入れてしまうこともできます。
それは例えば、「男らしさ」「女らしさ」といった言葉に合わせて男女を育てることが促されるようなものでしょう。本来なら十人十色のはずなのです。
また箱の中身が箱の影響を受けることもあります。
家で仕事や勉強をするのと、職場やカフェでするのでは、集中力や効率がちがうのはよく感じることです。
環境という箱が中身に影響を与えます。それは行動経済学や心理学で今や常識となってきていることです(「常識」もまた一種の箱ですね)。
そして、この本はこうしたことをテーマにしつつも、そうしたことを考えなくても、おもしろいのです。
京極夏彦さんは本当にこうしたテーマをうまく料理するなぁと思います。ここにさらに魍魎とか火車とか、妖怪も絡めてきますからね。
長編になるのは無理もないのかもしれません。
ですが、おすすめです。
(引用はすべて「魍魎の匣」(著:京極夏彦)より)