言葉にすると見えなくなるもの(『鉄鼠の檻』)

「はいはい。左様でございます」

京極夏彦氏の百鬼夜行シリーズ4冊目。

今回の舞台は箱根の山奥にある老舗の旅館「仙谷楼」と謎の寺「明慶寺」が舞台となります。

今回は仏教、特に禅がテーマとなっています。

こうして本の紹介を書いていると、言葉にすると全然伝わらない、言葉にすると違ったものに変わってしまっていると感じることが多々あります。

「おもしろい!」

この一言の中には、人によっていろんな感情が詰まっています。しかし、言葉にするとたった一言になってしまうのです。

また、言葉にすることで、この感情を「おもしろい」と決めてしまっている気すらします。

ある意味では、言葉にできないものにラベルをしているとも言えます。そのラベルを貼るための「箱」は百鬼夜行シリーズ二作目の『魍魎の匣』のテーマです。

そして、こうした言葉にできないものについて、言葉によらず理解しようとする方法のひとつが禅です。

今作では仏教や禅、悟りとはなんなのかと言ったことを考えさせられます。

また『姑獲鳥の夏』でも出てきた久遠寺の父が登場するなど、『姑獲鳥の夏』の内容の関わる部分があるので、『姑獲鳥の夏』を内容を覚えておくと、久遠寺さんや関口さんの心情などが理解できて一層おもしろくなります。

京極夏彦氏の著作だけあって文庫で1368ページもある大作です。

途中の仏教の歴史があったり、お坊さんの名前が覚えにくかったりといった少し読み進めにくい部分もあります。

しかし、仏教の歴史をしっかりと説明したからこそのあのラストにつながる、そう考えると納得です。

ウンベルト・エーコ氏の薔薇の名前に匹敵するとの声もある今作。

ぜひ読んでみてください。