刺激的な一冊(「書くための名前のない技術 case.3 千葉雅也さん」)

「書くための名前のない技術 case.3 千葉雅也さん」

とても良い本でした。刺激的っていうんですかね。

読んでいてレイアウトから文章を考えることが、最初はよくわからなかったんですよね。

ぼくの中では文章を文章としてだけ捉えるという意識はなくて 、レイアウトと言葉の内容が全部つながってるわけです

でもなるほどと思い至りました。

文章って最終的にはブログ記事や本というフォーマットとして世に出されるわけなんですよね。

そしてブログ記事というレイアウトと本というレイアウトでは同じ文章でもちがった印象になるのは間違いないわけです。

ブログ記事の下書きで書いた文章を実際のレイアウトでみてみると、違った印象を感じて文章を手直しすることはかなりあります。

そしてフリーライティングです。

「さぁ書くか」と先に書くことがドライブとして働く。

T a k . この (消すとわかっている ) 「じゃあ 、書きますか 。 」があるのとないのとでは違いますか 。

千葉  違います 。

T a k . ドライブするみたいな感じがある ?

千葉  そう 、ドライブするんですよ 。

T a k . 消すと分かっている言葉を補助線的に入れるというのは 、ぼくはフリ ーライティングのときによくやるんですけど 、実際の原稿の頭にそれが書いてあるというのは面白いですね 。

つまり、補助線として働くのです。

補助線で数学の問題を解くように、スムーズなアウトプットができるわけですね。

これはポッドキャストでも少し話したのですけど、

補助線を使って前進を促進する書き方っていうのは、感情を載せた文章が書きやすいと思うんですよね。

それはドライブをかけて前進を促進すること。

ドライブをかけて勢いを出す。

そうするとドライブを書けてないときにはでなかったものが勢いで飛散します。

それが補助線を書いてドライブをかけるひとつの意味だと思うんです。

そしてドライブをかけて勢いで飛び散るもののひとつが感情なのです。

ドライブをかけて材料をまず書き出せれば、材料をあとは削り出すだけになります。

考えながら粘土をつぎ足ししていくような書き方よりも、彫刻のように材料を削り出してレイアウトとして余分なところを削っていく書き方。

「こういう書き方で書きたい!」

と思う今日この頃です。

もう一度言いますけど、とても刺激的な本でした。

ちなみにこの記事は「さぁ書くか」から書き出したドライブされた記事です。

他の記事と見比べてみると、違いがわかるかもしれません。